やりたいことをやれるだけやる。

 

また本を読んだ。今、読んでいる本は精神的に参っていて、自分は̚̚̚非定形うつなのではないかと思っていた頃の自分に読ませてやりたい内容だ。

 

疲れてしまう原因は自分にノルマを課しすぎているせい。

やらなきゃいけないと思っているものがありすぎたせい。

そんなに荷物を抱えていたらそりゃ疲れてしまう。本当にそれはやらなければならないものなのか、今じゃないといけないことなのか。

実験をしてみた。何もしないことを選ぶとどうなるかの実験だ。

5連休もあるということでwant to doリストを書いていた。部屋の掃除や読書の感想文をノートに書くことなど、休みのうちにやっていしまいたいことを列挙しておいたのだ。3日間は順調にこなせた。しかし、4日目(元旦)は本当に何もやる気が起きなかった。動くことはできるのはわかっていたが、あえて動かないで過ごす方を選んでみた。リストはできていない項目もあったにも関わらず、一日中朝から夕方までベットの中でひたすら何もせずにすごした。色んな気分が私の中を過ぎていった。何もしていない間、私ができることはただただ自分の感情が流れていくのを待つだけ。傍から見ると本当に何もしていない。そのうち気分の波が静まって気が付いたら眠ってしまっていた。

目を覚ましたら外は暗くなりかけていた。一日が終わったと思った。

眠ったのもあってか、頭がとてもすっきりしていた。残っていたリストの項目の掃除もできたし、夕食にはお好み焼きも作れた。焦る気持ちもなく、掃除と料理に没頭していた。

やらなければならないことに押しつぶされている人は私だけではないと思う。日本人は勤勉な人が多い。休みを取るべき時間でさえも何かをしようとしてしまう。

たぶん、そんなに頑張らなくてもいい。自分に課したやらなきゃいけないことが山積みな時こそ、少し考えてみてほしい。やりたいことをやれるだけやった方が自分にとっていい時間の過ごし方になるはずだ。

一年後の自分を想像できるか

 

晦日ということで、今年一年を振り返る人は多い。私も少し思いをはせてみた。

去年の今頃、何を考えていたか。本気で2020年6月のボーナスをもらったら仕事をやめようと思っていた。去年の秋頃、最も精神をやられていた時期といっても過言ではないくらいに病んでいた。顔、体中に吹き出物ができて、眠剤を飲まないと眠れない。小さなことが不安で不安で仕方なくてどうしても頭から離れないときは抗不安薬を飲んだ。不規則な勤務もあり、私にはとても仕事が続けられないと本気で思った。母親に泣きながら本当に辞めたいと訴えたこともあった。

 

そんな12月に2020年用のまっさらな手帳を買った。1年間の目標を書いてみた。

仕事を辞めたい一心で、転職活動や家のこと、副業のこと。唯一の救いはワクワクする夢も書いておいたことだった。ー空を飛ぶことー

それから一年がたった。家を住み替えることも、転職も、副業も、何も目標を達成していない状態にある。達成できた項目は、仕事を辞めてもしばらく困らない額を貯めることと空を飛ぶことだけだった。

去年の12月には誰も予想していなかっただろう、誰もがみんなマスクをつけて生活する、家にとどまることが推奨される時代が来るということを。転職するハードルが一気にあがった。ただでさえ、過剰な不安になることがあるというのにこの荒波にあえて繰り出すという選択はできなかった。

でも、今の状況に私は満足している。去年の私が今の私を見たら少し驚くのかもしれない。目標達成してないじゃない!!と言われるかもしれない。今年一年、たくさん本を読んだ。カウンセリングの先生の元に進路相談にも行った。勉強もした。大きく変わったのは考え方なのかもしれない。今の状態に満足できるようになったこと。

今でも時々、今の自分に焦って状況を変えなければと思ってしまうこともある。焦ると、自分へのプレッシャーが大きくなってしんどくなってしまう。状況は好転しない。唯一できるのは、今の状況からほんのすこーーしだけ手を伸ばせそうなことをする。それだけ。欲張らない。焦らない。

来年も焦らない、できることをできるだけやる、変化はあってもなくてもいい。

来年の自分が何を考えて、何をしているのか、少し楽しみでもある。

 

分からないから挑戦するの!!

 やりたいことが見つかって、仕事をしながらやりたいを叶える方法を日々模索している。情報を発信してみたいと思ってTwitterを始めてみた。このTwitterで苦戦している。楽しみ方が全く分からない。

本来であれば、大学生時代に4年間もあれば使い方とかマナーとか習得できて、どうやって使うのかも覚えられたはず。使い方がわかれば楽しく情報を発信する手段として使えたはずだ。流行りものにとことん疎い、興味のない私は全くSNSに手を付けなかった。(連絡手段のLINEだけは使用)

 

周りの友達はTwitterInstagramSNS歴が7年。みんな見事に有効活用している。本当に尊敬する。私はSNS一年生だ。ものすごく時代に取り残された気分に陥っている。

この人フォローしたいなと思っても、いきなりフォローしていいものか、、

自分のフォロワー数はもちろん一桁で、情報発信したところで見てくれる人はいない

楽しむはずのツールがかえって心の負担になってしまっていた。

 

SNSやめてしまおうか。難しいから、やらなくてもいいんじゃないんだろうか。すごく逃げ腰な発想が頭をよぎる。でも、、、、逃げたら私の理想は手に入らない。1年生だから、初めてのものはなんだって難しい。世の中の人から見たらたかがSNS、私にとってはされどSNS。わからないことでいっぱいだ。誰にも教えてもらってないものを使ってるんだからなおさら難しい。

試行錯誤を繰り返して、どうやって情報を発信していけばいいのか。失敗をしてもいい、そこから学んでできるようになりたい。そう思うと、『心の負担』というよりも『新しいことへの挑戦』と捉えて前向きに新しいことを習得できる気がする。

 

 

読書好き、、、最近ㇵッ(゚Д゚)とさせられた本

今月は5冊読了したようだ。めったにない読書量。

今月読んだ本は面白い本が多かったのと、大寒波のせいもあってか家で読書をする時間が多かったのかもしれない。

すべてについて書きたいけれど、今月一番衝撃だった本のことを書いてみようかと思う。本自体が衝撃というよりは、一部分のみが頭から離れない。

読書好きな人には刺さってしまう内容だと思う。

 

『なんのために学ぶのか』 池上彰先生/著

今年の3月に発行されているので多くの人がすでに読んでいるかもしれないが、数週間前に、ふと本屋さんで目に留まって買ってみた。

池上さんおすすめの本も盛り込まれており、その一つに

『読書について』 ショウペンハウエル/著

の内容が書かれていた。有名な一節なのかもしれないが、、、

読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。

読書にはメリットしかないと思い込み、「知識が増える→賢くなる」という私の考えが一気に否定されたようだった。

人の考えをなぞっているだけでは、自分で考えることをしていないと示唆されていた。

なんとなく感じていたことをズバッと指摘された感覚だった。

本の内容を自分のものとして落とし込むことで、はじめて自分の中で本がいきる。

読んだ本に関して、良くも悪くも感想を持つこと、

本から得られた学びを記憶すること、時には行動に移すこと

実践するのは難しい。しかし、何時間もかけて読んだものがさらりと頭の中から消えてしまうのもなんだか悲しい。せめて記憶には残しておきたいものだと思った。

 

難しい本も読める人は『読書について』を読むのが手っ取り早いが、なかなか手を伸ばしにくい人にとっては、なかなか読まない分野の本に触れる機会として『なんのために学ぶのか』は程よい内容なのかもしれない。

年末年始も本を読もう。

休みの上手な過ごし方

 

気が付けば、クリスマスも過ぎて年の瀬に差し掛かってきた。

社会人数年目ともなると、クリスマスボッチは何ともなくて

むしろ仕事で人と会っているほうがいい日なようにも思える。

子供のころのクリスマスは一大イベントだったのに、大人になるとあっさり過ぎていく。

 

年末年始に差し掛かるということで、連休がやってくる。私の場合は5連休。

今年のGWと同じ期間。コロナの影響で家から極力でないで過ごす時間が長く、連休明けは5月病になっていた。

年末年始、諸事情により実家には多分帰ることができず、また一人で過ごすことになりそうだ。

病まないようにと、やりたいことを列挙してみた。

・ガスコンロの掃除    ・換気扇の掃除

積読の消費       ・いらない本断捨離

・ピアノの練習      ・鍵あみに挑戦してポーチを作りたい  etc...

 

こんな感じで一応出てくる。好きなこと、やりたいことがわからなかった時期の私から考えるとかなり成長している。

しかし、私は休み方がへたくそな部類の人である自覚が最近出てきたため

気が付いてしまった。

 

やりたい(want to)→やらなきゃ(must)になってしまい、上手に休めないことを。。。

休み方がへたくその原因だ。

「今日はコンポストをかき混ぜて、あとはのんびり過ごそ~」

くらいの緩さが本当のお休みなのかもしれない。

 

 

 

 

プレゼントをあげること🎁

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昨日はとても仲の良い友達の誕生日だった。コロナの影響で直接祝うことができなかったが、プレゼントを送った。

初めて友人に花を送ってみた。フラワーアレンジメント。私が生きてきた中で人から花をもらえたのは卒業式くらいで、他にもらったことはないかもしれない。

花は貰えると嬉しいのに人生の中でもらえる機会が少なすぎる気がする。

花をもらって嬉しくない女はいないという自論を信じてメッセージカード付きのフラワーアレンジメントを贈った。とても喜んでもらえた。喜んでもらえたことで私も嬉しくなった。

今まで、義務感でプレゼントを選ぶことが多かった。誕生日にもらったから返さなきゃと考えて渡すことが多く、プレゼント選びは大変だと思っていた。プレゼントの大原則を間違っていた。プレゼントはあげたいからあげるものであって、義務でしなければいけないものではない。返報性の法則か何かでもらったら、プレゼントしなければならないものと思ってしまっていた。

今回は心の底から好きな友人の誕生日に素敵なものを贈りたいと思い、プレゼントを考えた。考える時間も楽しかった。

人に何かを惜しみなくプレゼントする。自分も幸せになれることに気がついた。自分があげたいからプレゼントすると自分も満たされる。決して自己犠牲ではなく、自分の思うまま負担のない状態で誰かに何かを与えることは自分のことも豊かにできる。友人には一つしかプレゼントしていないが、友人のおかげで満たされた気持ちと新しい気づきを得ることができた。ありがとうと言われたが、ありがとうと返したい。

理想の夕食準備

今日は比較的定時に仕事が落ち着いていておおよそ定時にあがれた。食材も家にあったので、夏野菜カレーを作ることにした。

ゴーヤ、ナス、トマト、かぼちゃ、玉ねぎ

具沢山。さっと切り分けて煮込む。

時間に余裕ある時の煮込み料理が好きだ。私の理想的な時間を作れるから。

外国のドラマや映画に出てくる、鍋に火をかけながら近くの椅子に座って本を読む綺麗な女性の絵。なぜか、料理中に本を読む女性はだいたいきれいだ。ドラマや映画の世界なので女優さんが必然的に美人なのかもしれないが、、、

美人であるかないかが問題ではなく、鍋に火をかけながら本を読む女性がきれいで、すごく憧れる。見事なマルチタスクの中に自分の時間を確保しているところが好きなのかもしれない。

自分の力で生活していると、家事はやらなければいけないこととして挙げられるが

こういう理想を時々叶えていると、やらなければいけない家事も少し楽しく感じられる(^^)

次はどんな理想を叶えるか、どんな風景に憧れるか考えるのも楽しい。望みを少しずつ叶えていく練習をする。